なぜ教案を覗く?

日本語教師は教案を書いて授業に臨みます。

経験が長くなってくると、ひたすら教案通りに授業を進めることは少なくなってきますが、教案は授業の「骨」であり、学習項目についての分析が記入されているので、お守りのような存在だと思います。

そんな「教案」についての話ですが、大人数の留学生クラスを教えていると、学生に覗き込まれることがあります。

休み時間や、複数の学生を指名して板書させているときなど、教卓から離れていて、ふと見ると、もの珍しげにじっと見つめている。

初めて覗かれたときはびっくりして、声を上げてしまいました。

教案を学生に見られるのは何だか気恥ずかしいものです。

その後も何回かありますが、「見ないでね〜」と優しく声をかけるようにしています。

教案を覗き込んだ学生に
「これは何ですか?」と聞かれることもあります。

そのようなときはきちんと説明しています。

そうすると、「これ、ほしいです。」と言われることもあり、笑ってしまいます。

「授業をするためには準備をしなければならない。毎回、教案を書くんだよ」と話すと、素直に驚かれたりします。

学生時代、板書する内容の書かれたノートを常に教卓に置いている先生方がいましたが、それを覗きたいと思ったことはありません。

そう思うと、教案を覗く学生の心理が不思議に思え、おもしろいなあと感じています。

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