アカデミックハラスメントという言葉が日本語教育でも使われ始めているようです。
ネイティブの日本語教師に対して、外国語である日本語で意思の疎通を図らなければならない学習者は、授業中、極めて不利な立場にあることを改めて肝に銘じなければならないと、この言葉を耳にするたび、思わされます。
学生は教師より立場が弱いもの。
教師になってから、思い出すのは自分の学生時代のことです。
小学生のとき、音楽の時間に笛のテストがありました。
音楽室にはクラス全員分のオルガンがあり、そこに一人ずつ座っていました。
あるとき、笛のテストで名前を呼ばれた私は返事をしてから、立ちました。
ところが、先生は立っている私に、
「立ちなさい。」と強い口調で言ってきました。
私の背が低すぎたので、先生からは私が座っているように見えたからです。
他の学生たちは笑いました。
私は悔しくてたまりませんでしたが、涙を堪えて「立っています。」と言いました。
先生の勘違いに罪はありませんが、その後、先生が謝らなかったことに、強い不信感を持ったことを今でも覚えています。
この経験は教師になってから、役立ちました。
過去に、勘違いをして、学生を注意し、その学生に抗議されて、謝った経験があります。
勘違い自体を深く反省しましたが、きちんと謝ることが人として大切なことだと思いました。
非文の直し方もそうです。
過去に、直すときの言い方が強くなってしまい、学生から抗議を受けたことがあり、深く反省させられました。
教師は学生を通して、成長させてもらう職業だと常々、感じています。
今でももちろん、授業後は授業内容の反省だけでなく、学生対応はしっかりとできていたかなと、振り返るようにしています。