先日、20数年前に教えていた韓国の日本語学校時代の上司から、久しぶりにメールが届きました。
もうずいぶん昔のことなのに、あの頃のことは鮮やかに脳裏に焼きついています。
私は韓国企業の語学研修所で3ヶ月教え、帰国し、数ヶ月後に再び渡韓しました。
韓国企業ではいわゆる日本の教え方をしていたのですが、韓国の日本語学校は教え方が違い、驚いたときのことを今でも覚えています。
日本語と韓国語は互いにいちばん習得しやすい言語だと言われています。
そのため、まず、韓国人の優秀な日本語教師が3ヶ月で日本語の初級文法を韓国語を使用しながら、全て教えます。
口頭練習も行います。
その後、ネイティブの日本語教師が「て形」から会話メインでトップダウンでスピーディーに教えていく。
当時、学校ではそのような教え方をしていました。
それまでコミュニカティブアプローチ色の強い、丁寧なボトムアップで教えてきた私は、この教え方に戸惑いました。
初めに見学した授業は、文型導入にほとんど時間をかけていなかったので、この教え方は果たして私の経験にプラスになるのだろうかと疑問に思ったからです。
悶々としながらも、自分だけ異なる教え方をしたら、学生が戸惑うだけだと思い、そのやり方に従っていました。
ところが、数ヶ月後、別の拠点から異動してきた上司の授業見学をしたとき、衝撃を受けました。
文型導入をとても丁寧に時間をかけて行っていたからです。
未熟な私は、韓国人の先生に既に習ってきた文型だし、カリキュラムの進度も速いし、そんなに丁寧に導入する必要があるのか、会話練習の時間が足りなくなるのではと思い、そのまま上司にぶつけました。
一度習っていても、再度、しっかり理解しているか、確認しなければ、会話練習に進んでも意味がない。
上司はそう答えました。
今思えば、当たり前のことを言われたに過ぎないのですが、当時はハッとさせられました。
そして、その導入も素晴らしくわかりやすい場面と例文だったと気づかされました。
また、上司が中心になり、定期的に文型分析を皆で行う勉強会もありました。
学校は初級、中級、中上級、ときに上級のクラスもありました。
中級以上も教え方はトップダウンでしたが、文型導入はしっかりやらなければなりません。
当時、ネット環境がなく、教師向けの文法書も今ほど充実していなかったので、自分の頭で分析しなければなりませんでした。
上司はいつも文型を指定し、「どんな機能だと思う?」と皆に投げかけてきます。
韓国人の先生も参加する中、やる気だけはあるものの、知識や経験が浅く、うまく答えられない自分が悔しくて恥ずかしかった記憶が残っています。
そして、上司の分析の素晴らしさ。
皆の意見を聞いてから、最後に自分の分析を披露してくれるのですが、文法書を超えた「学生にとってわかりやすい機能の説明」に毎回、脱帽し、言葉を失っていました。
それは理系出身でありながら、文系も強いという上司の最大の強みから導き出された独自の視点による分析でした。
今でも覚えているのは「免許は取ったものの、車はまだない。」の「〜ものの」。
非文が出やすい文型ですが、その後の授業で、上司の素晴らしい分析をそのまま使わせてもらっています。
年も近く、他の同僚たちと一緒によく飲みに行ったり、遊びに行ったりしていた上司は、仕事以外は友達のような存在でしたが、今でも尊敬してやまない人です。
当時のことを互いに懐かしくメールで語り合いながら、そんなことを思い出していました。