小学生の頃、夏休みの理科の宿題で、何でもいいから「作品」を作ってくる
という課題が出されたことがあります。
理科が苦手で嫌いだった私は途方に暮れ、亡き父に頼んでみました。
父は子どもの教育にほとんど興味を示さない人だったので、断られるだろうと
思いつつ。
すると、何の気まぐれか、「いいよ。」といい、父は楽しそうにアィディアを練り始め、材料を買い込み、せっせと何か作り始めました。
できあがったのは小さな小さな電気スタンド。
チェーンを引っ張ると、豆電球がつきます。
えっ?これ、私に作れるわけがない。
先生も気がつくに決まっている。
そう思いましたが、せっかく作ってくれたし、まあ、いいかと、そのまま提出しました。
しかし、驚いたことに、後日、全校生徒の集まる朝礼で、その電気スタンドは表彰されてしまいました。
名前を呼ばれ、前に出され、校長先生に
「上手だね。どこが難しかった?」と
聞かれた私は、
「作ってないからわからない。でも、そんなこと言えない。私も恥ずかしいし、
先生の立場もなくなるし、この場の雰囲気が‥。」と思い、
「電気がつくようにするのが難しかったです。」と、しれっと答えました。
それ以来、親に宿題を手伝ってもらうのはやめました。
この話をあるN2文型を教えるとき、学生によくします。
「〜たことにする」です。
・この話、聞かなかったことにして。
・自分で書いたことにして、出しちゃっ た。
日常会話でよく使うので、学生にも経験談で文を作らせ、発表してもらいます。
その際、例として私の電気スタンドの話をすると、学生たちは「先生〜!」と
呆れながら、笑います。
この、みっともない話をあえてするのは学生が自分の話をしやすくするため
です。
学生からも同じような話や、おもしろい話がいろいろ出てきて、楽しい時間に
なります。
それにしても、思うこと。
教師になってみると、問題プリントや、
作文など、学生が自分でやっていないものは必ずわかります。
あのときの先生の真意が不思議でなりません。