「続・だもんでの衝撃」犯人捜し 2020年1月6日

以前、長野の方言を話していると指摘
され、自分では無意識だったので、衝撃を受けたという投稿をしました。

その後、誰から影響を受けたか、犯人捜しをしていましたが、判明しました。

介護施設の職員たちでした。

職員の日本語を注意深く聞いていると、
「だもんで」を始め、方言が頻繁に出てきます。

そして、職員と話している私の日本語を
客観的に聞いてみたところ、「だもんで」以外の方言も使用していることに
気づきました。

私は東京を離れてから、和歌山県に住み、施設でバイトを始める前は長い間、長野に住んでいましたが、方言を使用したことはありませんでした。

それはなぜか。考えてみました。
そして、原因は日本語教師の特性にあると思い到りました。

和歌山でも、長野でも、日本語教育機関で教えていましたが、職場で方言が使用されることはほぼありませんでした。

東京や、韓国で教えているときも、地方出身の教師はたくさんいましたが、みな方言を使用せず、東京の言葉、いわゆる「共通語」を話していました。

日本語教師養成講座では、「共通語で日本語を教える」と習い、東京式アクセントについても学びました。

日本語教育機関は、全国どこであれ、基本的に「共通語」で授業を行なっているところが多いと思われます。

もちろん、テキストに方言が出てきたり、学生の要望で方言を教えたりすることはあるでしょう。
私も少し教えたことがあります。

ただ、日本語教師は言葉に敏感です。
特に、日本語を教える場では、方言の使用を無意識に避けている教師が多いはずです。

そのような職場環境に身を置いてきたので、私は方言とほぼ無縁でいたのだと思います。

一方、介護施設では普通に方言が使用されています。

職場で使用される方言は、理解できなければ、業務に支障が出ます。
そのため、理解しようという意識が働き、自分も身についてきたのでしょう。

そう考えると、日本で働く外国人も自然に方言が身についていくのではないかと思いました。

但し、地方により、難易度が高い方言もあるので、その場合は大変なのではないかと感じますし、場合によっては、方言を教える必要性も生じるでしょう。

日本語教師をしている以上、身につかないだろうと、ある意味、残念に思っていた「方言」。

この際、施設で働いているときだけは、思い切り使用して、マスターしていきたいと、楽しみになってきました。

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