特定技能がスタートし、今後、ますます
増加するであろう「外国人」の存在について議論が交わされています。
逆の立場で考えてみると、自国より働く場所が豊富にあり、貨幣価値も違う国が
「どうぞ働きに来てください。」と、
門戸を広げたら、私なら、行くだろうなと思います。
と、過去の自分を振り返ってみると、
「出稼ぎ」と言うと語弊があるかもしれませんが、似たような経験をしていました。
20数年前、日本語教師としてスタートを切った時代は、業界では「冬の時代」と呼ばれた日本語教師が余っていた時代。
420時間を終えて、日本語教育能力検定試験に合格し、自分の通った養成講座の母体である日本語学校の採用試験に合格したものの、当時、その学校は就学生
(現在で言う留学生)コースがまだなかったため、ほとんど仕事がありません
でした。
韓国の企業に3ヶ月教えに行き、帰国後。
他の学校を探しても、求人も少ないし、未経験者はほとんど門前払い。
会社員を辞めていた私は困り果て、けれど、何としても日本語教師だけで生計を立てたい、経験を積みたいと、選んだのは韓国の日本語学校でした。
日本円にすると、12万円くらいの給料でしたが、家賃補助もあり、十分生活ができました。
当時、求人のある他のアジアの国々は、物価に対して、家賃が非常に高い国も
多く、職を得ても、持ち出しも珍しく
ありませんでした。
日本語教師になったら、いつか海外でも数年、教えてみたい。
そう夢見ていましたが、
ほぼ未経験で飛び込むつもりはありませんでした。
けれど、やむを得ない決断でした。
韓国語もわからず、教師としてのキャリアもなく、予想以上に大変でしたが、
情に厚く、他者に優しい韓国の方々と
日本人の同僚たちに助けられたおかげで、2年間、乗り切ることができました。
今となっては本当に貴重な経験です。
あの頃の恩返しを日本にいる外国人に
微力でもしていくこと。
そう思って、今ある仕事をしています。