海外と日本の「教師の立ち位置」の違い 2019年4月24日

私が国内の日本語学校で留学生(当時は「就学生」)教育に携わったのは、韓国の企業語学研修所と、日本語学校で2年数カ月教えた後でした。

帰国後、教え始めた日本語学校の留学生の大半は韓国人
でした。ほっとしたのを覚えています。
韓国にいたから、韓国人に慣れていると。

ところが、同じ韓国人にもかかわらず、学生の様子が違うのです。

0レベルではなく、中級クラスから教え始めたのですが、
授業中、消極的な学生、疲れた様子を見せる学生、
おしゃべりをする学生などがいて、驚きました。

国内の学校の教え方は韓国とは異なりました。
国内のほうがよりコミュニカティブに、そして、丁寧に教えていました。

韓国で教えていたとき、週5回、毎日2時間、学生は日本語を習っていました。長く勉強を続ける学生も多かったです。

それに対して、留学生は毎日4時間。確かに長いです。
では、時間数の差だけなのだろうか。

その疑問は教えていくうちに、また、留学生の本音を聞くうちに、解けてきました。

海外で教える日本語教師は…
「私たちの国にわざわざ来てくれた先生!うれしい。自分の国で日本人と話すチャンスは少ない。
先生とたくさん話したい。日本についていろいろ知りたい。」
このような存在なのだと思います。

また、海外の日本語学校の学費は決して安くはありません。
社会人、主婦、大学生…いろいろな立場の幅広い年齢層の学生がいましたが、比較的生活に余裕があり、自分の国にいるのでリラックスしています。
不慣れな異国生活に戸惑う私を彼らは心配し、気遣い、
あらゆる面で助けてくれる存在でした。
もちろん、教える国、機関により、違いはあると思いますが。

一方、国内の留学生は日本に住んでいます。
日本人と日本語の洪水の中で生活しているのです。
そのような環境下で、安くはない学費を払い、日本語を
習っている。珍しくもない「日本人」の先生がちゃんと
教えるのは当たり前。
自分たちは異国で苦労しながらアルバイトと勉強をしている。大変。

これが留学生の視点なのだと気づきました。

韓国で教えていた頃、学生に「私の国に住む外国人」と
して助けられていたことに改めて思い至りました。
そして、留学生はその逆の立場。
彼らの異国生活の大変さに寄り添いながら、教えていかなければならない存在なのだと。

「海外の経験は経験に入らない。」
「ある程度、国内で教えてから、海外に行ったほうがいい。」
今も昔も日本語業界で耳にする言葉です。
あまりに大雑把な捉え方で、異論はあると思います。
私も思うところはあります。けれど、この言葉の真意に
ついては考えることを避けてはいけないと思います。
上に挙げたのは「違い」の一例にすぎません。

私のように、海外で教えることからキャリアをスタートし、いずれ国内でも教えたいと思っている教師の方に
贈りたい言葉です。

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