久しぶりに東京で親友に会ってきました。
初めて出会ったのが高校生のとき。
長い長いお付き合いです。
彼女は私より私に詳しいかもしれないと思うことがあります。
高校卒業後、それぞれの道を歩みながらも、ずっと友情は変わらず続いてきました。
「冬の時代」と呼ばれた、日本語教師の需要がほとんどない時代に日本語教師になった私をずっと応援し続けてくれていました。
教師になってすぐに韓国に行き、奮闘している私を励ますため、韓国まで遊びに来てくれたり、手紙とともに日本の音楽を送ってくれたり。
帰国後、あまり余裕のない生活をしている私に、自分の服や、靴を大量に自宅まで送ってくれたこともあります。
本当にありがたかったです。
彼女はセンスが抜群なので、もらった服を着ていると、
同僚や、学生によく褒められました。
他業種で活躍しながら、私の仕事の話をいつも真剣に聞き、アドバイスをしてくれた彼女。
昨今、クローズアップされ始めた「日本語教師」のニュースを目にし、うれしそうにタイトルの言葉を言ってくれました。
実際のところ、日本語教師の資格がどう整備されていくか、まだ骨組みしか提示されていませんし、国家資格になるのか、真の意味で日の目を見る日が来るのか、わかりません。
日本語教師の専門性が多くの人に認知され、安定した職業になるのはもしかしたら私が引退する頃かもしれません。
でも、それでもいいと思いました。
日本語教師って、日本人なら誰でもできると思われているんだよと私が嘆くたびに、我がことのように悔しがっていた彼女。
今回、その彼女の笑顔を見たとき、そう感じました。