日本語教師を目指そうと考え始めたときに、頭に浮かび、悩んだことがあります。
それは言葉の持つ怖さ。
10代の頃、コンプレックスに悩まされた人は多いと思いますが、私の場合、物心がついた頃に始まりました。
前にも少し触れましたが、
人並み外れて背が低かったのです。
今なら、身長を伸ばすための注射を勧められていたと思います。
とにかく食べ物の好き嫌いが多く、食べない子どもでした。
子どもは時に、残酷な生き物。
同級生はもちろん、下の学年、上の学年の子どもにも、よくからかわれました。
知らない大人や子どもにも、外を歩いていると、「どうしてこんなに小さいの?」と驚かれたりしました。
今、思えば、悪気なく言っていたと思いますが、「私は人と違うんだ」
と、傷つき、悩みました。
子どもながらもそのとき感じたのは言葉の怖さでした。
その後、背を伸ばすためにと、
バレーボール部に入り、打ち込んでいるうちに、食欲も増し、身長も一気に伸び、今は普通の小柄な体型に
なりました。
日本語教師は言葉を教える仕事。
国語も好きだし、外国人に興味も
あるし、やりがいもありそう。
でも、言葉の持つ強大な力、人を
打ちのめすこともできる力を考えたとき、言葉に関わる仕事をすることに躊躇してしまいました。
悩んだ末に、出た答えは…
言葉には人を励まし、癒す力もある。言葉の持つ素晴らしい力を伝えていこう、という想いでした。
いくつになっても、人の言葉に力をもらったり、癒されたり、逆に、
傷ついたりするものです。
私も人を傷つけてしまい、後悔することもあります。
それでも、言葉は素晴らしいものだと思います。
違う言語で育った外国人に、日本語を教えることで、意思の疎通が生まれ、様々な人間関係が構築されて
いきます。
学生から、日本人に言われて傷ついたことや、うれしかったことを聞くと、それは実は、すごいことだなと思います。
教師をしていると、時に厳しく注意し、学生を落ち込ませることもあります。そして、励ましたり、ほめたり、慰めたりすることもあります。
どちらも言葉の持つ力。
その力を上手に使える人間になりたいと、反省を繰り返しつつ、いつも思います。