見れる、食べれる、起きれる、来れる…。これらは「ら抜き言葉」です。日本人は無意識によく使用しています。
では、日本語教育ではどのような扱いをしているのか。
まず、「ら抜き言葉」にはルールがあります。
日本語教育の文法は国語教育と違います。
動詞を3グループに分けます。1グループ(五段活用)、2グループ(上一段・下一段活用)、3グループ(か行・さ行変格活用)。国内外を問わず、外国人学習者は「日本語の動詞は3グループに分けられる」とだけ習うのが普通です。
「ら抜き」が使用されるのは、2グループと、3グループの「来る」だけです。2グループの可能形は本来、「食べます→(食べ)られます」。3グループの「来ます」は「来られます」が正しい形です。
母語として日本語を習得してきた日本人は自然に使い分けて、「ら抜き言葉」を使用しているのです。
日本語教育では初級中盤で出てくることの多い「可能形」。授業では「ら抜き言葉」は通常、練習しません。
軽く紹介することはあるかもしれません。
それはなぜか。実は、全ての2グループの動詞を「ら抜き言葉」として使用しているわけではないからです。
例えば、「乗り換えます」「考えます」「始めます」
「教えます」「覚えます」「忘れます」「集めます」…。これらは初級に出てくる2グループの動詞ですが、「ら抜き」にすると、違和感があります。「ら抜き」は3文字以上の動詞では、起こりにくいのです。
他にも、2グループでも「ら抜き」を使用しない動詞がいくつもあります。
つまり、「ら抜き」によく使う動詞は限定されていて、ルール化できないのです。
また、話し言葉で「ら抜き」を使用する動詞でも、オフィシャルな文書を作成するときは、使用しないこともあると思います。これも日本人は自然に使い分けているはずです。
このような複雑なルールを、初級の学習者に教えることは混乱を招くことになります。
中級以上になると、「ら抜き」を自然に使う学習者も出てきますが、確認すると、「日本人がよく使う動詞」と理解した上で、使用しています。
私自身、プライベートでは、ら抜き言葉を使用することもありますが、特に、初級の授業では使用しないようコントロールしています。
言葉の変化は興味深いですが、日本語教師はしっかり分析していかなければなりません。