来日、間もない留学生はもちろん、在住歴の長い学習者からも、日本人は本音がわからない、曖昧な言い方をされて、真意が掴めず、戸惑う…という声を聞くことがあります。
言葉とその国の文化、習慣は密接な関係があります。
日本語教師をしてきて、実感しているのは、日本人の「察する文化」です。ここから「空気が読めない」という表現が生まれたのだと思います。
他者の立場や、気持ちを察することから、発せられる曖昧な表現。
日本語の教材はもちろん、このような点を考慮して作成されていますし、教材になくても、教師は教える必要があります。
曖昧な表現を教えるのは、日本社会に適応するため、つまり、日本人のためであると言うこともできます。
また、外国人が日本社会で少しでもストレスを減らし、彼らが生きやすく過ごせるための
武器になるからです。
私はこれこそが最大の理由だと考え、教えています。
日本に永住する外国人や、組織に属して働く外国人は、やはりある程度、使いこなす必要性が生じると思います。
けれど、「わかっているけど、そんな表現は使いたくない。」という学習者に、日本人の価値観を押しつける気はありません。教えることはもちろん大切ですが、「日本人のようになれ。」というのは違うと思います。
頑なに、母国の習慣を貫けば、日本人と軋轢が生じる可能性があります。そのとき、どう対処していくかは彼らが思考すべきこと。
武器の使い方は教えても、過剰に押しつけないこと。いつもそう思いながら、学生に向き合うようにして
います。