教師としての「残り時間」2018年11月23日

最近、よく考えることです。年齢を考えると、気が早いと言われそうですが、20代で教師になった頃から、常に、1年後、3年後、5年後の「教師としての自分のあり方」を考えながら、教えてきました。

とにかく早く全レベル教えられるようになりたかった新人時代。

「全レベル教えられる」だけでは足りない、学生に対する適切な接し方、つまりは人間性を磨かなければ、教師としてはダメだと気づかされ、悪戦苦闘し続けてきた中堅時代。今もまだ続いていますが。

新人の頃、憧れていた、経験年数にふさわしい実力と人間性を兼ね備えた素晴らしい先生方。少しでも近づきたいと、走り続けているうちに、いつの間にか20数年が経過していました。

これまで、決して順風満帆だったわけではありません。
失敗や、挫折、後悔していることもたくさんあります。

日陰の存在だった「日本語教師」という職業が、国策の影響で、よくも悪くも注目を集める日が来ようとは、夢にも思っていませんでしたが、この激動の時代を迎えようとしている今、自分に何ができるのか、何をすべきなのか、そして、あと何年、教え続けられるのか。考えずにはいられません。

人の寿命は誰にもわかりません。長生きしたとしても、死ぬまで仕事をすることができる人はわずかしかいません。

教師という仕事の特質を考えると、引き際は大切なのだろうと思います。

今頃になり、現場の経験は積んできたけれど、まだまだ包括的な知識が足りないことに気づき、日本語教育に関する勉強を地道にするようになりました。

そして、1回、1回の授業を全力で楽しんでいます。
教えられることに喜びを感じています。

体も脳も、少しずつ衰えていくのでしょう。それでも、
その「現実」を受け入れた上で、ベストを尽くしていきたいです。

ガンに侵され、壮絶な苦しみの中、死の直前までフリーランスのジャーナリストとして、仕事をし続けた千葉敦子さん。40代の若さで亡くなった彼女の無念さが、胸に響きます。

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