亡き父のこと。毎日のように思い出します。
父は学生の頃、英語に興味を持ち、進駐軍の雑貨屋でバイトをしたり、進駐軍の
奥様に英語を習ったりしていたそうです。
今では英語が話せる人は珍しくはあ
りませんが、父の時代はまだ重宝される時代。
折しも日本経済がぐんぐんと力を増していく中、大企業ではありませんが、海外出張で世界中、飛び回っていました。
海外駐在経験もあります。
ロシアのマトリョーシカ人形。
ヨーロッパの鳩時計。
韓国のオリンピック記念時計。
中国のスワトウのハンカチ。
子どもの私にとっては、珍しいお土産が増えていきました。
大人になり、自分も海外に興味を持つようになったのは、父の影響が大きいでしょう。
小さな体で、大きな欧米人と並んで写る父の写真が目に浮かびます。
父は娘に、あれこれと自分の考えを押し付けることは一切しませんでした。
私はいつも自分の進路を自分で決めてから報告しました。相談したことはありません。
進学も、就職も、転職も、結婚も。
ただ、韓国に働きに行く前、周りの友人が、頑張って!と励ましてくれる中、
父だけは頑張りすぎるな、海外で頑張りすぎると、潰れるぞとアドバイスをくれました。
この言葉にどれほど救われたか、わかりません。父自身の経験から発せられた重みのある言葉でした。
亡くなった日の朝、夢に現れ、父は笑顔で私に、バイバイ!と言いました。
起きてから、すぐ危篤の知らせがあり、
臨終に間に合わないから父が夢に出てきたと感じ、実際にその通りになりました。
父は今の私をどう思うかな?と、よく
考えます。
父は自分の人生を悔いなく生きた人だと思います。苦しいこともたくさんあったと思いますが。
私も父のように生きたいです。
すみません、自他共に認めるファザコンの、独り言のようになってしまいました。