行きつけのバーで、間を置かずにどんどんお客が入り、従業員がとんでもなく忙しくなる光景を何度も目にしたことがあります。
そんなとき、彼らは1秒も無駄な動きをせず、素晴らしい接客のスキルを目の前で見せてくれます。
ついつい見とれて、私の目が回りそうになります。
「プロだな。」と思います。
でも、彼らは最初からそのような動きができたわけではないでしょう。経験を積み、また、絶え間なく努力したからこそ、できるようになったのでしょう。
お金をいただく仕事は「プロ」と言えるでしょう。ただ、プロの対義語は「アマ」ですが、彼らの中にも「プロ」に勝るとも劣らないスキルを身につけている方もいると思います。
念願の日本語教師になり、お仕事をもらったとき、「プロになれた!」と、本当にうれしかったことを覚えています。でも、それは本当の意味でのプロになるためのスタート地点に過ぎなかったのだと、今は思います。
失敗や挫折、苦しみや後悔を味わうことなく、プロになることはできない。そして、仕事を辞めるその日まで、その戦いは続くのだと感じています。
教師はある意味、特殊な仕事で、プロになってすぐに、完璧でなければならないというプレッシャーを感じたりしますが、そんなことはないのです。
もちろん、プロとして教えるからには、甘えることは許されないと思いますが、最初から「素晴らしい授業」ができるわけではありません。その時の自分のスキルを最大限に生かし、準備をして、授業に臨む。その繰り返しだと思います。
学生はよく見ています。教師のキャリアにかかわらず、一生懸命に教えている姿を。新人の頃は、学生に幾度、助けられたことか。感謝の気持ちでいっぱいです。今でも助けられています。
教えることは学ぶことです。学び続けることを止めなければ、成長していけるのだと思います。